早川八郎左衛門正紀は、元文4年(1739年)江戸の井上河内守の家臣直舎の次男として生まれ、
1764年早川家の養子となり、文化5年(1808年)11月5日に江戸で病没(70歳)した。
明和6年(1769年)幕府御勘定役。天明元年(1781年)出羽国尾花沢の代官となり、
次いで天明7年(1787年)6月に第20代の久世の代官となる。
1796年典学館を設立し教育の振興に尽くし、赤子の間引きの禁止、質素倹約の奨励、親孝行、養蚕の奨励、虎斑竹の保存など、その業績は現在でも名代官として地元民に尊敬されており、在任中計4回にわたる留任願いが提出されている。
真庭市久世の重願寺には婦人の墓があり、昭和7年(1932年)早川代官像が建立されている。
享和元年(1801年)武州久喜(埼玉県)に転任の折には、地元民大勢が目木乢まで見送り、涙の別れだったらしい。 |
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